
永い時間を繰り返す この世界の片隅で
まるでオルゴールのように止まることなく
終わりのない詩を幾度も紡ぎ出す
静かな部屋の一室で、今の空と同じ夜色のグランドピアノを前に浅く腰かけた彼は、一つ息を吐くと鍵盤に指をのせた。
長い指先が、月明かりに照らされた白い鍵盤の上を撫でていき、ゆっくりと音楽を奏で始める。
それは、まるで子守歌のように廊下を伝い、家全体へと広がっていく。
同じ時間、もう一人の彼は、過去の夢を見ていた。
幼稚園で子供達は、両親が迎えに来るのを、帰り支度をしながら待っていた。その時、一本の電話が鳴った。
受話器を取り、相手と二言三言話すうち、穏やかだった保育士の声が次第に強張ったものになっていく。
電話を切ると、保育士は彼の肩に手を置き深呼吸してから、ゆっくり言った。
「落ち着いて聞いてね。さっきの電話ね、乙(おと)君のお母さん達が交通事故に遭ったっていう連絡だったの」
突然そう言われ、幼い彼は混乱した。そして、手を引かれるまま車に乗せられて、着いた先は病院内の霊安室だった。
「お気の毒ですが…」
二人が足を踏み入れた途端、医師はそう告げた。
中央にある白いベッドの上で、両親は眠っているように見えた。だが、その顔には白い布がかけられていた。
そこから場面は飛び、葬式の祭壇が視界に入った。
両親が、突然いなくなってしまった事実を受け止められず、じっと何かを耐えるかのように、前を見据えていた。
その時、ふいに誰かに後ろから抱きしめられた。少し年上の男の子の手。
彩佳の手だった。背中から伝わってくる温かさに戸惑った。
「…悲しい時は泣けばいいんだよ……」
言われた瞬間、堰を切ったように涙が溢れた…。
朝が来て、カーテンを通して差し込む陽光に目を覚ました。
眠りについた時と同じように、向かいの部屋からピアノの旋律が聴こえた。
その音に導かれるようにして薄く開かれた扉の前に立った。
「…また弾いてんの?」
掛けられた声に反応して、彼は手を止めて振り返る。
「おはよう、乙。今日は早起きだね」
「…うん。久しぶりに両親が死んだ時の夢を見たから…」
「そう…大丈夫?」
「平気。彩佳(さいか)こそ、最近毎晩ピアノ弾いてて、ちゃんと睡眠時間取ってる?」
「心配しなくても、夜中は弾いてないよ」
「……本当に?」
疑わしそうな目を向けると、彩佳は苦笑しながら椅子から立ち上がる。
「相変わらず心配性だね。さぁ、そろそろ朝食にしようか」
そう言って促すように、二人並んでリビングへと向かった。
幼い頃に交通事故で両親を亡くした乙は、叔父夫婦である緋和(ひわ)家に引き取られた。
兄弟になった彩佳とは六つ違いで、お互いに一人っ子だったこともあり、すぐに打ち解けあった。
彩佳の両親は海外で仕事をしており、この家には彼等しか住んでいない。
その日もいつものように、始業十分前には着くように家を出た。そして、全ての授業を受け終え帰ろうとした時だった。
後ろから肩を叩かれ、振り返るとクラスメイトの折部
那緒(おりべ なお)がいた。
「ね、一緒に帰らない?」
「いいけど…折部、いつもあいつ等と帰ってなかったっけ?」
言いながら、教室の窓際で帰り支度をしている二人組みを指した。
「今日はいいの」
「ふぅん? ま、いいけど」
「じゃ帰ろ」
校舎を出て二人並んで歩きながら、他愛のないおしゃべりをした。元々仲が良かったので話が尽きることはなく、楽しかった。
そうして別の話題に移ろうとした時、彼女はふと考え込むようにして口を噤んだ。
「…どうしたんだ?」
声を掛けてもしばらく何の反応も見せなかったが、顔を上げ乙と視線を合わすと、にっこり笑って言った。
「好きだよ」
「へ?」
混乱している彼をよそに、続けて言った。
「ごめんね、いきなりこんなこと言って。でも、言うなら今しかないと思って」
「…………」
あまりに突然な告白に、返す言葉が見つからず戸惑った。彼の反応を見て彼女は、くすくすと笑いながら言った。
「付き合いたいとか、そんなんじゃないから気にしないで。ただ、自分の気持ちを言いたかっただけだから」
「……気にするよ…」
「そう?」
その後は、何事もなかったかのように、まったく別の話題に花が咲き、別れ際まで並んで歩いた。
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